私のこと

自己紹介

はじめまして、フリーウェディングプランナーのChikaです。

私の自己紹介をさせていただきます。

〈実績〉
◆会社員プランナー
7年勤務 担当数約230件
(最終肩書き:チーフプランナー)
◆フリープランナー
7年目 大手ゲストハウス&プロデュース会社業務委託 担当数約50件
個人案件→ここに力入れてます。

基本情報

  • 名前:保榮茂 千賀(ほえも ちか)1985年生まれ
  • 出身地:京都生まれ京都育ち
  • その他:娘2人(小学3年生と年長さん)
  • 職業:フリーランスウェディングプランナー

内気な幼少期

ごく一般家庭ではあったものの、両親とは仲は悪くないが会話が成り立たない。

言いたいことは誰にも話してはいけないのか?そんな風に思っていました。

父は陽気だけど何言ってるのかわからない。(いわゆるおやじギャグしか言わない)

母は明るいけれど誰に対しても思っていることを伝えず自分が我慢する。

妹はただひっついてくる。そんな家庭でした。

必然的に「おりこうさん」をすることが、

全てが丸く収まるのだと感じていました。

保育園時代からよく母がまわりからお世辞かもしれませんが、

「こんなに落ち着いたお子さんは手がかからなくてすごいね」と

言われていたのを子どもながらに聞いていました。

 

ポイント→内気で感情を出せなかった幼少期

 

それがなぜだかリーダーになってしまう中学時代

そんな風に内気に過ごしてきたので、目立ちたくないわけです。

中学生になり、始めた吹奏楽。

ただ友達に連れられて入部しただけ。。のはずでした。

あてがわれた楽器はTuba

「なんで身長が小さい私が、こんなにでかい楽器やねん」と嫌々始めると、、

あれ?楽しい!!

みんなで作る音楽の楽しさ、練習すれば上手になることが目に見えることが

とても嬉しく熱中した結果。

あんなに内気だった私は部長になり、更には音大受験をしプロ

オーケストラへ入ることを目指すようになります。

そして同時に生徒会にも推薦され、やりたくもないのに

生徒会役員になってしまうのでした。

文化祭もなんだかんだまとめ役をしていたな~。

目立っていた。ではなくていつの間にか周りがやりたくなくて一歩下がるから、

自然とまとめ役になってしまう学生時代。

ポイント→まとめ役、意外と好きかも!?

 

挫折を体験する大学時代

大学受験から勉強ではなく、全てが音楽の実技に代わりました。

中学3年生で始めたピアノは、バイエルからスタートし完全に周りから出遅れています。

他にも音楽専門のレッスン漬けの日々で、気が狂いそうでした。

それでも高校3年間でなんとか音大合格まで到達することができました。

入学できた大学では、それまた地獄で朝早くに登校し、授業がない時間はレッスン室にひたすら閉じこもり学校が閉まる時間ぎりぎりまで練習の日々

土日祝も例外ではありません。

なぜか土日祝はエアコンが使えないという、猛暑&極寒の中専攻の楽器の練習をしていました。笑

そして、練習むなしく専攻の先生の態度、まわりの様子から悟るのです。

私がいくら頑張ってもプロの音楽家として通用しない。

レベルが足りない。と。。

何もやりたくなくなり最後の演奏会のあと、楽器をケースから出すことはありませんでした。

そして、音楽学科は就活をほぼしません

まわりは留学先を見つけ海外へ行ってしまうのです。

私は大学院を目指したものの、心が折れてしまい断念。

卒業したときに行き先がなくなり、同志社女子大を卒業したのに

500万の奨学金を抱えたフリーターの私が仕上がりました笑

 

ポイント→約10年向き合った音楽。

好きだけでは仕事にならないと知りメンタル崩壊

 

フリーターからのウェディングプランナー

卒業後1年間は、昼間はコンビニ、夜間は祇園のお茶屋さん(舞妓さんがいるお店)で

バイトをし過ごしていました。

それはそれである程度収入もあり、楽しかったのですが、ある日時計を見て「6時」。

朝なのか夜なのか、私はどこに出勤するのかわからなくなった日がありました。

「このままではやばい、ちゃんと正社員になろう」と急に焦ったことを覚えています。

そしてその頃、親戚の結婚式に出席しました。

ほぼ始めて出席する結婚式は、

ガラス張りのチャペルの美しさ、真っ白な壁、テーブルに装飾されたお花、

幸せそうに過ごす新郎新婦の笑顔。

「すべてが美しすぎる!ここで働きたい!」と、一瞬で心惹かれました。

そうなれば行動するのは早いので、

タウンワークでまずはその会場にスタッフとして入り込むために、

バイトを探し人員不足のため即採用され初出勤。

スーツなんてそれまで持っていなくてそのバイトのために用意して、

早朝ドキドキしながら言われた場所へ向かいました。

そして、衝撃的な場面に遭遇するのです。

「目の前に花嫁」です。

事前説明も何もなく、スーツでその場所に来て。と言われただけでした。

てっきり仕事内容の説明があるものだと思っていたら、

ヘアメイク真っ最中の花嫁のお部屋に私は登場したのです。

なんならデコルテ部分にキラキラパウダーをつけて。と言われたのです。

当時は、「現場で見て覚えろ」の風潮も強く、いきなり放り込まれ、

何の知識もなかった私はただびっくりするだけでした。

そして、そこに担当プランナーが現れるわけです。

「なんで支度に3分も押したの!?」と。

花嫁に聞こえないように、めちゃくちゃ詰め寄られその瞬間は恐怖と、

3分ごときでなんでそんな怒ってるの?と苛立ちました。

「プランナーってそんなに偉そうな態度しか取れないのか?

それなら私がプランナーになって、そんな上から物事を言わずとも

人を動かしてやる。」と瞬間で燃えました。笑

であればまた即行動です。

2社応募をしてそのうちの1社に正社員として入社することになりました。

面接での会話

面接官)「どんなプランナーになりたいですか?」

私)「やりたいと希望されたことを叶えてあげたいです」

面接官)「それが難しい事なら?」

私)「形は変われどアイデアを出して叶えてみせます!!」

何もできない私がプランナーのリーダーへ!?

謎の熱意だけで、採用をしてもらったものの、

まわりはどうせすぐ辞める。と思い、

他の同期には与えられていた制服は私には与えてもらえませんでした。

同期は私を含め3人。

一人はすでに他社でプランナー経験のある、ひとつ年上の方。

もう一人は、ブライダルの専門学校に通い、

その時からバイトとして勤務していた年下の方。

一方、は結婚式の知識も経験もなく見た目もパッとせず役立たずでした。

入社初日から支配人からは大激怒。なんなら毎日勤務の半分以上は呼び出され、

みんなの目の前でねちっこく怒られていたような気がします。

(今日の晩御飯何にしようかな~とか考え受け流していましたが笑)

ブラックの中でも「漆黒」。月末に印鑑を押すだけの出勤簿だったので、

残業とはなんだ!?というくらい1日のほとんどを会社で過ごしていました。

みるみる体重は減り生理は止まり体調もボロボロになりました。

そんな中、当時の彼氏からも、私が急に忙しくなりすぎたため

「そんなに仕事が大事なん!?」

よく女の子が言いそうな言葉をかけられることに。笑

もう後に引けない。と仕事中心、いえ仕事しかしていない生活になりました。

同期の2人が初担当を任せられる頃、私はまだ先輩について回り雑用を永遠とこなしていました。

同期とは仲がよかっただけに、「羨ましく、悔しかった」

でも辞めてしまおうとは思わなかった。

何が何でも結婚式の担当を獲得するために、私ができることを今一度初歩的なことから

見直しました。

他と同じことをしていてはダメだ比べられる。

先輩、上司からこの人になら安心して任せられるという「信頼」

勝ち取ることが先決だと。

本音は「このムカつく上司に私がいないと会社が回らない。と言わせてやる」

そう決意していました。

だからみんなが嫌がる仕事は片っ端から全部引き受け、

更にそれを言われる前に取り掛かる。

備品発注であっても絶対にミスをしないように、徹底的にこなしました。

そして、プランナー業務でも、少し気になったことは全部調べたり質問しに行き、知識を入れまくりました。

気になることは、先輩ではなく直接(大嫌いだったけど)ねちっこい上司に質問することを続けました。

そしてついに、初担当を任せてもうらう日がやってきました。

嬉しかった。本当に嬉しかった。

何度も何度も打合せや確認をして、迎えたその日は私が新人だろうと変わらずに

他のスタッフがカバーしてくれて、応援し見守ってくれた日。

今でもお2人のことはしっかり覚えているし、毎年その日になると〇年目だな~と思い出します。

辛く修行のような日々にがさしてきました。

また新人ながらに、他の誰もがやっていない単価の上げ方をしていたので、

わけもわからずその方法を全員にレクチャーするということもありました。

売ろうとしていたのではなく、

「あなたたちはこんなことをするとより楽しくなる」と

ノリノリで話していただけでしたので、当時はその方法を言語化するのに苦労しました笑

そこからは、トントン拍子に担当を持たせてもらい、結婚式に熱中していたら

気づいたら先輩・同期は全員退職し、

あのねちっこ上司もあとは任せた。と退職。

またもいつの間にかリーダーとなりました。

最初に「すぐ辞める」と思っていた社長からは、

「いてくれないと困る」とお給料を上げていただいたり認めてもらえたことが

嬉しかったです。

でも、会社はM&Aにより社長が代わり、安売りを始めたことがどうしても許せなく、

今まで築き上げた私のお城がガタガタと音を出しながら

崩れだしたのです。

大好きな会場だったからこそ、その止められない崩壊を見ていられず退職することになりました。

ラストの担当の日は、新郎新婦には関係のないことだから。と黙っていたのにも関わらず、

他のスタッフ(社員じゃないパートナーさん)が、

「Chikaの最後の担当でした!!」とおひらき直後に

新郎新婦に言っちゃうものだから、

みんなで大号泣の結びとなりました。

社員同士よりも、そんな心の通ったパートナーさんとの関係が深かったおかげで、

その縁は退職して10年目になりますが今でも飲み会や、お仕事を一緒にする関係が当時と変わらず今も続いています。

 

ポイント→修行のような会社員時代。
ブラックな会社だったからこそ、多少のトラブルに動じないメンタルに♡

フリーウェディングプランナーへの道

退職後、抜け殻になった私は「フリーウェディングプランナー」

多少の興味は持ちつつ、出産もあり1人目が1歳になるまでは、と

のんびり生活していました。

ところが、夫1人の収入では貯金を切り崩しどんどんマイナスになっていき、

生活レベルを落とさないといけない現実もありました。

そこで声をかけてくれたのは、退職した会社のパートナーさんからのお仕事のお誘い。

事務として1年ほど働きました。

でも、気持ちが満たされない。

やっぱり結婚式のプランニングがしたい。

こんな結婚式が作りたい!とだけ思い、

集客や提携先などは何も考えず開業届を提出することになりました。

 

ポイント→過去の繋がりがフリープランナーへの

後押しとなる

 

開業届を出したものの何したらいい!?

思っていたよりもあっさり受理された開業届。

これでフリープランナーになったのか?さて何しよう。

と速攻で迷子になることに。

そしていいのかどうか2人目の妊娠もわかったタイミングで、

更に先行きが怪しく1年目は0円の確定申告を提出することになりました。

でもそんな中参加した講演会での出会いがこの先を変えていくのです。

あるプロデュース会社の社長に気に入ってもらい、妊婦でありながら業務委託契約を

結んでいただき結婚式のプランニングができるようになりました。

 

ポイント→講演を聞き自分を売り込みに行ったことが

仕事をつかむことに

フリープランナーとしてのスタート

初めて別の会場でのプランニング。

わけがわからなくて、いかに視野が狭かったかを思い知ることになりました。

今までの会社で意気揚々と結婚式ができていたのは、

あのいつものパートナーさんがいて助けてくれていたからなんだ。と。

プロデュース会社の仕事は毎回お客様によって会場が違う。

ひとつずつ確認をしないといけないから、やりにくい。

でもそこで私の得意分野が発揮されました。

初対面の方とお話していると、

今まで知り合いだった?

そんなことをまわりからよく言われて気が付きました。

私は、初対面の人とすぐ打ち解けられるのが得意なのです。

それに気が付いてからは、どんどんいい流れに乗り担当数は増えていきました。

今まで出入りすることのなかった、高級フレンチ店ハイクラスのホテル

最初は居心地が多少悪かったものの、今では「Chikaさーん♡」と声をかけてくれて

仲良くなった方も少なくありません。

でもコロナ禍に入り、一気に仕事が無くなりました。

正しくは、みんな「延期」をしていて、新郎新婦のメンタルケアを継続しながら

無給状態が続いていた。という状態でした。

当たる先のない苛立ちをぶつけられることもあったし、

どうにもできない現実に一緒に涙することもありました。

人間の本当の怖さ、そして反対に想いの強さを見ることになったのが

コロナ禍でした。

そしてそんな時に応援してくれたのは、過去に担当した新郎新婦たち。

「何もできないけれど。応援してます。」とメッセージを送ってくれるのです。

どんなに気持ちが救われたことか。

ポイント→なんでもできると思っていたが、

視野が狭いことに気が付く。

リピートのない結婚式のお仕事

 

結婚式の仕事は、会社員時代どんなに仲良くなって信頼関係を構築しても、

結婚式当日が終わってしまえば関係が終わり。

それがどうも寂しかったのです。

そして、お客様も同じように思ってくれたようで、フリーランスになってからは、

「料金関係なくChikaさんにお願いしたい」と写真が撮れるわけでもない私に

ファミリーフォトの依頼をしてくれ、結婚式が終わっても

関わり続けることができるようになりました。

届けたい結婚式のカタチ

心配事があっても、解決する方法はいくらでもある!

複雑家庭育ち、ゲストの居住地が大きく2か所にわかれる。

また、今までの結婚式をすることへの不安。

(例えばご祝儀3万円が高く感じる友人層、ケーキ入刀・お手紙シーン、引出物は不要)

などの要素により、自分たちがどのように結婚式準備を始めていいのかわからない方の

お手伝いが出来ればと思っています。

そんな内容をこれから発信していきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

Chika